インタビュー・会見外国映画日本映画

「STOP」キム・ギドク監督 単独インタビュー

2018年9月6日
原発事故が引き起こした不安や恐怖を、衝撃的な映像で描いた問題作。「贅沢するために原発を作り、命を落とすのは愚かだ」

原発が生み出す悪夢を、ショッキングに描き出す

※9月8日(土)より公開される「クライング フリー セックス」の主演女優・合アレンが出演・プロデュースした「STOP」(2015)の公開時に書いたキム・ギドク監督のインタビュー記事を、一部加筆した上で掲載します。

福島から東京に避難した夫婦に、謎の男が堕胎を迫る。汚染地域で暮らす女が奇形児を出産する。東京から来た男が、放射能にまみれた家畜をさばき密売する……。福島の原発事故が引き起こした不安や恐怖を衝撃的な映像で描き出し、世界各国の映画祭で物議を醸した問題作「STOP」。キム・ギドク監督は「贅沢をするために原発を作り、結果的に命を落とすのは愚かなことだ」と語った。

増え続ける原発への不安

――本作を撮ろうと思った理由は何ですか。

2011年3月11日の東日本大震災で、多数の犠牲者が出た。原発事故で被災地は放射能に汚染された。事故はいまだに収束の目処が立っていない。この不安な状況を何とか映画にしたいと思った。

――原発事故の後も、大飯や川内など原発が相次いで再稼働しています。

原発反対を叫んでいる人たちがいる一方で、再稼働に肯定的な人たちもいる。両者が対立している状況だが、政府は後者の立場をとっている。こういった状況は日本に限ったことではない。

中国でも原発建設が進んでいるし、世界的には10年後に今の2倍、1000箇所くらいにまで増えるのではないかという話もある。やがてどこかで、チェルノブイリや福島の悲劇が繰り返されるかもしれない。怖いことだと思う。

――このまま原発が増え続けていったら大変なことになる。その危機感が、本作を撮るモチベーションとなったのですか。

私はいつも安全な環境の中で、映画を作りたい、人生を楽しみたいと思っている。でも、原発事故が起これば、私の願いは打ち砕かれてしまう。エネルギーを好きなだけ使って、贅沢な暮らしをする―。そのために、原発を作り、結果的に命を落としたり、体に障害を生じたりするのは愚かなことだ。

――原発を正面から批判した作品。日本公開は危ぶまれたと聞いています。

日本の原発を描いており、ロケも日本、俳優も日本人。だから、当然のことながら、日本で公開すべきと思っていた。ところが、これまで私の作品を上映してくれた映画祭も、今回は二の足を踏むところが多かった。そんな中、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映してくれたのは幸いだった。

作品を見て感動した人が「ぜひ劇場公開してほしい」と私の手を握ってくれた。劇場との交渉は、本作のプロデューサーで出演もしている合アレンさんが引き受けてくれた。たぶん散々断られたと思うが、何とか私たちと志を同じくする劇場での公開が決まった。アレンさんの尽力に感謝している。

――韓国で公開されたときの観客の反応はどうでしたか。

日本の話なので共感してもらうのは難しく、観客の入りもそれほどではなかった。本作に少し遅れて「パンドラ」という、やはり原発の恐怖を描いた娯楽映画が封切られたが、そちらはかなりの動員を記録したようだ。

私の作品は製作費が少なく、高いクオリティも望めないので、どうしたって分が悪い。でも、作品を見た人は好意的な評価をしてくれた。主人公たちの恐怖を自分自身の恐怖と感じてくれた人もいたし、原発反対の意志がさらに固まったという人もいた。

原発は核爆弾と同じ

――本作は監督自身で撮影を担当していますが、製作費を抑えるのが目的なのですか。

「嘆きのピエタ」(2012)では2台のカメラのうち1台を自分が担当した。その後は、自分ひとりだけで撮っている。プロのカメラマンはやたら撮影に凝るため、準備に時間がかかってしまう。ところが自分で撮ると、余計な準備もなく、必要なカットだけを効率的に撮れるので、製作費の割に多くのカット数が稼げる。

もちろんプロのカメラマンは高いテクニックを持っており、その価値は認めるが、私の映画は外面的なデザインよりも、内面的なテーマに重きを置いているので、最近は私が一人で撮っている。いまドローン撮影を練習しているので、今後はその技術も使ってみたい。

――新宿や井の頭公園など都内でもロケしていますが、支障なく撮影はできたのでしょうか。

使用したカメラは一眼レフ。誰も映画を撮っているとは思わないので、自由に撮ることができた。今は、こういうカメラを使えば、お金も人手もかけずに映画が撮れる。アイデアはあるが製作費がないという人に、映画はひとりでも製作できるんだということを示したい。私をモデルにしてもらいたい。そんな思いもあった。

――随所にショッキングな描写が見られます。一瞬、現実離れしているように思いますが、よく考えるとあり得ることばかり。決して奇天烈な話ではありませんね。

私には、何か事件が起きると、付随的に何が起こるだろうかと考える習慣がある。福島にこっそり侵入し、動物をさばいて肉を闇で売ってしまうということは、もしかしたら実際にあるかもしれないし、あったら怖いなと思わせる。つねにそういう可能性について想像力を働かせている。

以前「うつせみ」(2004)という映画を撮ったが、誰もいない空き家に忍び込んで洗濯をしたり、人の真後ろに隠れたりするシーンがある。突飛な行動に思えるかもしれないが、あり得ることだ。一見あり得ないことを可能に見せるのが映画だ。ひいては映画はイコール想像力だとも言える。

私はいつもそんな考えで映画を撮っている。今まで誰もやったことがない、誰も見せてくれたことがない、新しいイメージ、新しい物語を探し求めている。それが映画作家としての使命だと思っている。

――これから「STOP」を見る日本の観客にメッセージを。

最初にも話したように、原発は全世界的に増える傾向にある。日本も今後、原発がさらに増えたり再稼働したりすることがあると思うが、そのたびに不安は高まるだろう。原発は核爆弾のようなものだ。もし戦争になって、ミサイルが原発を攻撃したら、核爆弾が爆発するのと同じ結果になる。それに、戦争は防いだとしても、自然災害である地震は防ぎようがない。

絶対安全な原発などはない。私たちに必要なことは、電気をできるだけ大切に使うこと、肉体労働をしてエネルギーに変えていくこと。そういう質素倹約の姿勢だ。そして一つでも原発を減らしていくことが、人間の未来にとっては望ましいことだと思っている。「STOP」には、そんな私の思いが込められている。

韓国同様、日本でも封切館が少なく、あまり多くの人に見てもらえないかもしれないが、見た人ができるだけ口コミで広げてくれて、少しでも多くの人に見ていただきたい。金儲けのために撮った作品ではないので、もし収益があったら、無条件に被害者の方に寄付しようと思っている。

STOP

2015、韓国・日本

監督:キム・ギドク

出演:中江翼、堀夏子、武田裕光、田代大悟、藤野大輝、合アレン

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

この投稿にはコメントがまだありません