外国映画

映画レビュー「さよなら、退屈なレオニー」

2019年6月14日
退屈な日常に辟易した17歳の少女、レオニー。彼女の前に、一人の中年男性が現れた。唯一心を許せる大人と思ったが――。

思春期少女の典型を鮮やかに演じる

母親と義父、そして代理父母が、わざわざセットしてくれた誕生パーティ。だが主役のレオニーは、まったく乗り気じゃない。遅れて会場のレストランに到着するが、その場にいること自体が苦痛でたまらないようだ。

レオニーにとって、最も苦手なのが義父のポールだ。地元のラジオでは人気のDJだが、ゴリゴリの保守派。自由を愛するレオニーとは水と油である。

適当に調子を合わせていたレオニーだが、やがて我慢の限界に達したか、突然、席を立つと、そのまま店を出て、バスに飛び乗る。このとき流れるBGMが素晴らしい。50年代ハリウッドのメロドラマを彷彿させる、クラシカルかつエモーショナルな音楽。

一見、よくいる反抗的な17歳の女子高生である。しかし、決して軽薄な少女ではない。内面には、鬱屈した感情が何重にも折り畳まれているのではないか。そんな想像をかき立てる、印象的な導入部である。

鬱陶しい親たちから逃れ、行きつけのダイナーで学校仲間たちとつるむレオニー。だが、そこもまた、安住の場所とは言えない。下卑た行動で、周りの顰蹙(ひんしゅく)を買うだけの、退屈な連中。いまひとつ溶け込めない。

そこで、たまたま出会うのがスティーヴという中年の男だ。時代遅れな髪形と服装で異彩を放つスティーヴとレオニーは、短い会話を交わしただけで意気投合。スティーヴは、レオニーにとって唯一心を許せる大人となる。

自宅でギターの講師をしているスティーヴに、レオニーはギターの手ほどきを受ける。何事も長続きしなかったレオニーだが、スティーヴのレッスンを受け、少しずつギターが弾けるようになっていく。

レオニーが照明係のバイトをしている野球場で、スティーヴが神業のごとき見事なロックギターを披露するシーンは圧巻。二人は、レオニーの卒業パーティの夜、ライブハウスでロックバンドの演奏を楽しみ、ゲームセンターで夜中まで遊び興じるが――。

年齢の離れた二人。父と娘のようにも、恋人同士のようにも見える。このまま距離を縮めていけば、いつか、二人は恋愛関係に陥るのではないか。しかし、物語は、そう都合よく進んではいかない。

映画は、レオニーに嫌な現実、つらい真実をレオニーに突き付け、彼女の心を千々に揺さぶるのである。スティーヴも、理想の大人ではなかった。

レオニーは再び、居場所を失う。あまりに潔癖であり、またシニカルであるがゆえに、矛盾やごまかしを看過できない。妥協しながら生きることができない。

思春期少女の一つの典型を、カレル・トレンブレイが鮮やかに演じ、2018年東京国際映画祭では、輝きを放つ若手俳優に贈られるジェムストーン賞を受賞した。

『さよなら、退屈なレオニー』(2018、カナダ)

監督:セバスチャン・ピロット
出演:カレル・トレンブレイ、ピエール=リュック・ブリラント

2019年6月15日(土)より、新宿武蔵野館他全国ロードショー。

コピーライト:©CORPORATION ACPAV INC. 2018

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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