外国映画

映画レビュー「殺されたミンジュ」

2020年3月18日
一人の少女が男たちに殺される。なぜ、彼女は殺されたのか? 殺した男たちの正体は? 背後にちらつく国家権力の影が不気味だ。

見えない国家権力の不気味さ

※「人間の時間」公開中のキム・ギドク監督作品「殺されたミンジュ」(2014)公開時に書いたレビューを、一部加筆した上で掲載します。

路上を逃げ惑う少女。追いかける男たち。やがて少女は捕まり、顔を粘着テープでぐるぐる巻きにされ、窒息死する――。いかにもキム・ギドク監督らしいショッキングな幕開けだ。

少女の名はミンジュ。彼女はなぜ殺されたのか、殺人に関与した7人の男たちは何者なのか。説明のないまま、物語は一年後へと飛ぶ。

今度は、ミンジュを殺した集団とは別の一団が登場する。同じく7人組でシャドーズと名乗る彼らは、加害者たちを格下の者から順に、一人ずつ密室に拉致しては、拷問を加えていく。激烈な痛みに耐えかね、加害者たちはあっさり犯行を自白していく。

少女殺しは上からの指示に従っただけ。自分たちの意思ではない。加害者たちの口から飛び出す言葉は、ニュルンベルク裁判におけるナチス高官の弁明を思わせる。

命令に逆らえば、自分の命がない。だから殺した。そういうことなのだろう。背後には不気味な国家権力の影が見え隠れする。

一方、加害者を責め立てるシャドーズは、リーダーを筆頭に、不遇の生活を送る者ばかりで構成される。客から屈辱的な扱いを受けているウェイター、米国の名門大学を出たが職に就けない男、恋人からDVを受けている女、友人に金を詐取され路上生活を送る男……。

つまり、この映画は、被支配者による支配者への挑戦と見ることができる。しかし、たった7人のグループが、国家権力に対抗できるわけがない。最後に拉致した大物もまた、巨大な権力構造の小さな歯車に過ぎなかった。

シャドーズとミンジュとの関係が明かされる終盤からの急展開が圧巻だ。ラストの衝撃度は「嘆きのピエタ」(12)に比肩するだろう。

韓国社会を風刺しているようだが、日本にも、アメリカにも、こういう構造はある。誰もがミンジュのように殺されるかもしれないのだ。

殺されたミンジュ

2014、韓国

監督:キム・ギドク

出演:マ・ドンソク、キム・ヨンミン、イ・イギョン、チョ・ドンイン、テオ、アン・ジヘ、チョ・ジェリョン、キム・ジュンギ

公式サイト:http://www.u-picc.com/one-on-one/

コピーライト:© 2014 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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