“群衆”に焦点を当てた傑作群
ロシアの映画作家、セルゲイ・ロズニツァのドキュメンタリー作品3本が公開される。
ロズニツァは、過去に21本のドキュメンタリーと4本の長編劇映画を発表。劇映画はすべてカンヌ国際映画祭に出品され、2本が受賞し、近作10本も世界三大映画祭に出品されるという、輝かしいキャリアの持ち主だ。
これまで日本では一度も作品が公開されずにきたが、今回、満を持しての日本初公開。映画愛好者なら見逃すわけにはいかないだろう。
「国葬」(2019)は、1953年に催されたヨシフ・スターリンの葬儀の模様を撮影したアーカイヴ映像を編集した作品だ。まず、アゼルバイジャン、エストニア、モスクワ……と、ソ連全土にスターリンの訃報が伝えられ、人々が新聞を求め売店に列をなす様子が映し出される。
次に、チェコ、ポーランド、フィンランド、中国、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、東ドイツ、そして英国共産党と、弔問に訪れる各国要人たちの姿がとらえられる。
モーツァルトの「レクイエム」が流れ、葬儀は粛々と執り行われる。映像はモノクロとカラーが入り混じるが、カラー部分では、服喪の黒と共産主義の赤が画面を支配。後期ヴィスコンティ映画を彷彿させる色彩は、荘厳の一語に尽きる。
何人もの画家たちが死顔を描いている。ショパンの「葬送」が奏でられる中、撃たれる弔砲。民衆、労働者が脱帽し、直立で黙祷を捧げる。
人類史上、例がないほど大規模な葬儀の記録は、かつてアメリカと二分したポリティカル・パワーの強大さを物語るとともに、体制を支えた群衆の圧倒的な忠誠心、一体性を見せつけてくれる。
「粛清裁判」(2018)は、1930年に開かれたでっち上げ裁判の記録映像から成る作品だ。西側諸国のスパイ容疑で逮捕された8名の知識人が、犯してもない罪を認め、反国家活動、破壊活動の詳細を述べていく。
潔白の身でありながら自らを罪人として自己批判する。その芝居じみた告白に対し、検事側の糾弾は熾烈を極め、次々と銃殺が求刑されていく。
求刑のたびに場内から沸き起こる歓声。外では戦車が走行し、軍楽隊が行進。人々が「破壊分子に死を!ウラー(万歳)!」と叫んでいる。独裁者スターリンと、彼に盲従する群衆が作り上げる地獄絵図。思考せぬがゆえに群衆は怖い。現在も同じである。
「アウステルリッツ」(2016)は、上記2本とは大きく趣の異なる作品だ。ソ連でもロシアでもなく、アーカイヴ映像でもない、舞台となっているのは、現在のドイツ・ベルリン郊外に立地する元強制収容所である。
アラン・レネの「夜と霧」のように、ナチズムを告発する映画ではない。カメラが映し出すのは、いわゆるダークツーリズムの一スポットとしてこの場所を訪れる観光客たちである。
季節は夏だ。Tシャツやショートパンツに身を包んだ欧米人およびその他の国々の人々が集まってくる。携帯電話のような機器で音声案内を聞きながら、順路に従って歩く人。観光ガイドの説明に耳を傾ける団体客。
入口の門には「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)という歴史的なスローガンが残されている。原発事故で有名になった福島県双葉町の「原子力 明るい未来のエネルギー」と同様、ネガティブな真相から目を背けさせるための美辞麗句。
多数の観光客を呑み込んでは吐き出していく門を、第二次世界大戦中は、おのれの死にゆく運命を知ってか知らずか、多くのユダヤ人がくぐっていったわけだ。
もしかしたら、彼らを死に追いやった者たちの子孫が、この観光客の中に混じっているかもしれない。数十年早く生まれていれば、観光客ではなく、囚人としてこの地を訪れていた者もいるかもしれない。
いずれにせよ、それが何という名のどんな人物かなど、誰も気にかけないだろう。彼らは単に群衆の一人なのだから。
国葬
2019、オランダ/リトアニア
監督:セルゲイ・ロズニツァ
粛清裁判
2018、オランダ/ロシア
監督:セルゲイ・ロズニツァ
アウステルリッツ
2016、ドイツ
監督:セルゲイ・ロズニツァ
公開情報:2020年11月14日 土曜日〜12月11日 金曜日、シアター・イメージフォーラムにて3作一挙公開。全国順次ロードショー
公式サイト:https://www.sunny-film.com/sergeiloznitsa
コピーライト:『国葬』、『粛清裁判』©︎ATOMS & VOID
『アウステルリッツ』©︎Imperativ Film