追い詰められた母と娘
コロナ禍の台北。キャリアウーマンのピンウェンは、ある日、会議中に娘のシャオジンから電話を受ける。クラスに感染者が出たので自宅隔離になったと言うのだ。
すると、そのやり取りを聞いていた上司は、ピンウェンに自宅待機を命じてきた。コロナ感染者は娘の同級生なのに……。釈然としないまま、ピンウェンはシャオジンとともに自宅で過ごす生活を始める。
大学受験を控えていながら、ろくに勉強もしないシャオジンは、何事にも反抗的だった。ある日、いつものように自室で食事を済ませたシャオジンの食器を片付けようとしたピンウェンは、皿にカレーソースで“Bitch”と書かれているのを見てショックを受ける。
もはや自分の手には負えない。ピンウェンは、三年前に別れた元夫に相談するが、力になってはくれなかった。
会社で働くことも許されず、娘との関係もうまくいかない。ピンウェンは精神的に追い詰められたあげく、統合失調症を病んでしまう。
ここに至って、観客は「もしかして…」と思うだろう。母と娘の関係を壊していたのは、娘ではなく母だったのではないか。シャオジンが反抗的に見えたのは、ピンウェンの被害妄想だったのではないか。“Bitch”という文字は、ピンウェンの幻覚だったのではないか。
ピンウェンが入院して、シャオジンは母親が目を逸らしてきた家計の逼迫という現実に直面、独力で解決しようと奮闘する。反抗的どころか、むしろ模範生なのだ。“Bitch”などと書くわけがない。
やがてピンウェンは退院し、スーパーで働くことになる。この辺りから、しだいにチラホラと希望の光が見えてくる。
たとえば、娘や母を救おうとする男たちの存在だ。シャオジンを騙そうとした不動産会社の社員を面罵する社長や、ピンウェンに好意を寄せるスーパーの店長。彼らの喜劇的なまでの善良さは、登場シーンが少ないにも拘わらず、強い印象を残す。
コロナ禍に起きた母娘の苦難を描いているので、もっと暗いムードに覆われた作品にもなり得たろうが、こういう情に厚い人物を登場させることで、人間的な温かみのある感動的な作品に仕上がった。