彼女はなぜ故国に戻ったか
アメリカ生活の長かった元女優のサンオクが帰国。妹のジョンオクと久々の再会を果たす。帰郷の理由を尋ねるジョンオクに、サンオクは「ただ会いたくて来たの」と答える。
川沿いの洒落たカフェ。テーブルをはさんで向き合い、互いを隔ててきた長い空白を懸命に埋めようとするかのように、二人の会話は続く。
川の青、対岸の緑。しばしば類似性が指摘されるエリック・ロメールの映画を彷彿させる美しい風景が広がる。
この後、サンオクはジョンオクとともに花々の咲き誇る公園を歩き、ジョンオクの息子が経営するトッポギ店に立ち寄り、そして別れる。
サンオクには人と会う約束があった。相手は、ソン・ジェオンという、年下の映画監督。だが、時刻までまだ間がある。
タクシーを走らせ、昔住んでいた家を訪ねてみる。洒落た店舗に生まれ変わっていたが、緑の生い茂る庭は以前のままだった。しばし郷愁にふけるサンオク。
再びタクシーで約束の場所へ。
そこは小さな居酒屋。監督のソン・ジェオンは助監督とともに、サンオンを迎えた。若い頃のサンオクの出演作や彼女の演技を絶賛するソン・ジェオン。その熱い口調に満更でもないサンオク。
やがて助監督が席を外し、二人きりになると、サンオクは拙(つたな)い指さばきでギターを弾き出す。黙って聴き入るソン・ジェオン。おいしい料理に酒も入り、水入らずの密室空間は甘いムードに包まれていく。
そして、話は本題に。そう、サンオクの映画を撮ろうという話だ。サンオクとしても予測していたことだったろう。だが、彼女はその申し出をあっさり断る。
せっかくの出演話。女優に返り咲くチャンスである。それも自分をリスペクトし、おそらく好意を抱いているに違いない年下の男からのオファーだ。それをなぜ断るのか。
実は、その答こそが、彼女が突然帰国した理由なのであり、この映画の描き出している風景のどれもが美しく、人物がみな愛しい所以(ゆえん)でもあるのだ。
「目の前のものは完全」。「目の前のものに感謝する」。サンオクが何度も呟く言葉だ。澄み切った心の持ち主のみに開示される、この世界のかけがえのなさ。ホン・サンス作品にはお馴染みのコント風の結末までが、じんと心に沁みる。
ホン・サンス監督が本作の前に手がけた『イントロダクション』(2020)も同時公開。
あなたの顔の前に
2021、韓国
監督:ホン・サンス
出演:イ・ヘヨン、チョ・ユニ、クォン・ヘヒョ、シン・ソクホ、キム・セビョク、ハ・ソングク、ソ・ヨンファ、イ・ユンミ
公開情報: 2022年6月24日 金曜日 より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺他 全国ロードショー
公式サイト:https://mimosafilms.com/hongsangsoo/
コピーライト:© 2021 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved
配給:ミモザフィルムズ