小さな工場から見える大きな社会問題
※新作「港町」が公開中の想田和弘監督によるドキュメンタリー「牡蠣工場」(2015)公開時に書いたレビューを、一部加筆した上で掲載します。
これまで“選挙運動”、“精神科”、“劇団”と、一般に知られていない場に踏み込んでは、その実態を“観察”してきた想田和弘監督。本作も“牡蠣工場”という名の、さぞかし風変わりな世界が紹介されるのだろうと思っていた。
ところが、見始めると、どうも予想と違う。牡蠣工場で行われているのは、養殖した牡蠣を水揚げ、洗浄後、作業所に運び、殻剥きし、製品化するまでの作業であり、そのどこにも特異な点はないのだ。数ある水産資源の一つである牡蠣の加工場に過ぎない。
だが、映画が進行するにつれ、牡蠣工場の抱える問題が次々と浮上。それらの問題こそが、本作のテーマだということが分かってくる。
舞台となるのは、瀬戸内海に臨む小さな町、牛窓。古くから牡蠣の養殖が盛んなこの町には、6軒の牡蠣工場がある。
その一つである平野かき作業所で働く渡邊は、宮城県南三陸町からの移住者だ。東日本大震災と原発事故で打撃を被り、地元での商売は絶望的となったため、平野から廃業寸前の工場を引き継ぐことを決めた。
しかし、牡蠣工場の経営は楽ではない。第一に働き手がいない。若者は3Kと言われるこの仕事に目もくれようとしない。渡邊は中国人労働者を受け入れるしかなかった。
隣県で起きた殺人事件の影響もあり、中国人に対する地元民の偏見は根強い。カレンダーに記された「中国来る」というメモに“人”の字が抜けているのは偶然ではないだろう。それでも、中国人に頼るしかない。ほかに手がないのだ。
少子高齢化による労働力不足、後継者難、外国人労働者、震災・原発事故の影響……。遠くから眺めると、実にのどかで美しい牛窓の町だが、その中の小さな牡蠣工場に踏み入って見ると、今日の日本が直面するさまざまな社会問題が凝縮している。
想田は、予断や先入観をいっさい交えず、カメラを向けた人物や風景、出来事を通して、それらの問題を浮き彫りにしていく。
そんな想田の融通無碍(ゆうずうむげ)なカメラは、すべての過去作がそうだったように、多くの愛すべきキャラクターを発掘し、また予想外のハプニングを記録することにも成功している。
そういった余談に属する映像もカットしないところが、想田作品の人間味であり豊かさでもあろう。想田と同様、偏見のない、まっさらな心で“観察”してほしい1本である。