外国映画

映画レビュー「迫り来る嵐」

2019年1月4日
工場の警備員が殺人事件の捜査に首を突っ込む。犯人逮捕への情熱はしだいに執念と化し、やがて狂気へと駆り立てられていく。

殺人事件に取り憑かれた男の悲劇

若い女性を標的とした残忍な殺人事件が続発。近くの工場で保安部の警備員をしているユィは、事件に興味をそそられ、捜査に首を突っ込む。

工場内で起こる窃盗の検挙で実績を重ねてきたユィ。プロではないが、それなりに自信があったのだろう。

私淑するジャン警部や住人から得た情報をもとに、弟分のリウを伴い、聞き込みや張り込みに没頭する。やがて、犯人らしき男を発見。追跡するが、逆に奇襲され、激しい格闘の末、逃げられる。

追走中に負傷したリウが死亡し、一人きりになったユィは、いよいよ捜査にのめり込んでいく。その執念は常軌を逸し、恋人のイェンズとの関係にも影を落とすようになる。

猟奇的な殺人事件。妖しいムードのダンスホール。謎めいた女。土砂降りの中での追跡劇。本作には、サスペンス映画としての魅力がふんだんに詰まっている。だが、中盤からは、謎解きよりも、ユィという人間の異常性に対する興味が勝っていく。

被害者の女性たちとイェンズの外見が似ていることを知ったユィは、イェンズの働く美容室を近くの喫茶店から見張り、犯人の現れるのを待つ。イェンズを囮(おとり)にして犯人をおびき寄せようというわけだ。もはや正気とは言えない行動である。

ユィの企みに気づいたイェンズが、こう尋ねる。「好きなのに、なぜ私に触らないの?」。恋人と一緒にいても、心ここにあらず。犯人捜しで頭がいっぱいなのだ。そして、ついに取り返しのつかない悲劇が起こる。

後半に至って、映画はさらに異様な展開を見せる。無実の男を犯人と断定し、暴行したユィは服役し、何年か後に出所するのだが、その間に環境は激変してしまっている。

働いていた工場は閉鎖している。後片付けをしていた用務員は、跡地に商業ビルが建つという。さらに用務員は、ユィに衝撃の事実を告げることになる――。

映画は1997年に始まり、2008年に終わる。その間、中国は改革開放政策で確かな成果を出し、社会は劇的に変化していった。

何しろ、ユィが用務員の老人の言葉に愕然とする2008年は、北京五輪の年なのである。そんな時代変化など眼中になく、犯人捜査に血道を上げたユィは、自閉し、狂気に蝕まれていく。

パラノイアにとらわれた男を主人公としている点で、本作は、ドン・ユエ監督自身も影響されたと語るヒッチコックの「めまい」を思わせる。

ただし、凡百のヒッチコキアンと違い、ヒッチコックを後追いするのではなく、自家薬籠中のものとして消化し、自作のストーリー、自身のスタイルの中に完全に溶け込ませているところが、只者ではない。おそるべき才能の出現である。

『迫り来る嵐』(2017、中国)

監督:ドン・ユエ
出演:ドアン・イーホン、ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン、チェン・ウェイ、チェン・チュウイー

2019年1月5日(土)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー。

公式サイト:http://semarikuru.com/

コピーライト:© 2017 Century Fortune Pictures Corporation Limited

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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