日本政治への憤懣こもる
小川淳也という衆議院議員がいる。統計不正や「桜を見る会」を追及する質疑が話題になり、にわかに注目度を高めつつある政治家だ。
2003年、衆院選に初出馬。自治省の役人だったが、「官僚では社会を変えられない。このままでは死んでも死にきれん」と、反対する家族を説き伏せ、勝負に出た。
残念ながら落選だったが、2年後の郵政選挙で初当選。2009年に初めて選挙区当選すると、民主党が自民党を破り、晴れて与党に。
役職も与えられ、やる気に胸をふくらませるが、それもつかの間、東日本大震災の1年後、政権はあえなく崩壊する。
その後、民進党、希望の党と政党名が変転する中、比例区ながら議員に留まり続け、希望の党の解党後は、無所属となる。
本作は、そんな小川の苦難に満ちた政治家人生を、2003年の初出馬時点から追ったドキュメンタリーだ。
大島監督は、妻が高校時代に小川の同級生だったことから興味を持ち、カメラを回し始めたのだという。
大島監督が初めて対面した小川に企画書を見せるシーンがある。表紙には「地盤・看板・カバンなし。それでも…政治家になりたい!」と書いてある。
小川は即座に反応する。「政治家に“なりたい”と思ったことは一度もないんです。“なりたい”ではなく“ならなきゃ”なんです」
政治家という職業に就きたいのではない。社会を変えるには政治家にならなきゃならない、というわけだ。
「やるからには総理大臣を目指す」。小川の澄んだまっすぐな目に、大島監督は惹き込まれた。以来、今日に至るまで二人は交流を重ねていく。
議員としてすでに17年のキャリアを持つ小川。だが、ほぼ出世とは縁がなかった。所属政党の崩壊や解党などの不運もあろうが、何より小川自身に出世欲が皆無であることが大きい。
頭にあるのは、日本の未来を見据えた政策だけ。党利党益などに関心はない。それで評価されない。そもそも人を敵味方に分ける発想がないようなのだ。
政治コメンテーターの田﨑史郎と会合を持つシーンがある。作中では触れられていないが、テレビの仕事で知り合った田﨑を、大島監督が小川に紹介したらしい。大島監督の名誉のために言っておくと、安倍政権以前の話であり、田﨑はまだ“スシロー”化していなかった。
たとえ相手が打倒すべき与党のトップと親しい人物であろうと、小川は先入観を抱くことなく、真摯に話に耳を傾ける。そして、遠慮なく批判を展開する。
「こんな人たち」とか「排除します」の輩とは正反対に位置する政治家なのだ。そんな小川が自らの政治的姿勢を、このように語るシーンがある。
「物事は0対100で決まるのではない。51対49。勝った51が負けた49を背負う。それが政治だ。だが、今は勝った51が勝った51のために政治をしている」。
何と分かりやすい表現だろう。この人の言葉はつねに明快だ。論理的で聞く者の胸にストンと届く。
志が高い。嘘をつかない。頭脳は明晰。政治家として申し分のない人物だ。なのに、「なぜ君は総理大臣になれないのか」。
タイトルには、小川への激励とともに、政界への憤懣(ふんまん)がこもる。「この映画を完成・公開しなければ死んでも死にきれん」。大島監督が魂を込めて撮り上げた渾身のドキュメンタリー。
なぜ君は総理大臣になれないのか
2020、日本
監督:大島新
公開情報: 2020年6月13日 土曜日 より、ポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町他 全国ロードショー
公式サイト:http://www.nazekimi.com/
コピーライト:© ネツゲン
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