生きるに値しない社会
映画の冒頭、ある青年の自殺を報じる新聞記事が映し出される。次いで自殺ではなく他殺だったと訂正する記事が出る。
青年はなぜ殺されたのか? 映画は6カ月前に遡り、青年シャルルが死に至るまでの日々を描いていく。
無気力で怠惰な日々を送っているシャルル。頭脳明晰だが、大学の授業に出ず、働くこともせず、友人でエコロジストのミシェルらと、政治集会や教会の討論会に参加している。
だが、シャルルの透徹した頭脳は、同世代の青年たちが叫ぶスローガンの空虚さを瞬時に見抜いてしまう。「みんな馬鹿だ」。吐き捨てるように言って、集会を中座するシャルル。何事も見え過ぎてしまう明晰さゆえ、シャルルは社会の欺瞞や人々の鈍感さに耐えられないのだ。
下らない世の中に愛想を尽かしたシャルルは、つねに死を考えるようになっている。シャルルがいささか生気に乏しく、投げやりに見えるのは、生への執着がないためだろうか。
アルベルトとエドヴィージュという二人の女性を同時に愛し、さらに別の女性とも交渉を持つ放縦さも、ドンファン的な行動というよりは、恋愛に幻想を抱いていないせいかもしれない。そもそも死を願望する人間にとっては、どうでもよいことなのだろう。
ミシェルとアルベルト、エドヴィージュは、シャルルの自殺を食い止めるべく力を尽くす。しかし、その努力も空しく、シャルルは冒頭の新聞記事に書かれたように何者かによって殺害されるのである。
結末を示して時間を戻し、その瞬間までのプロセスを簡潔に語っていく。無駄なカットは一つもないのはもちろん、カット単位でも徹底的に撮影対象を絞り込むロベール・ブレッソンのスタイルは、本作でも揺るぎがない。俳優の感情や表情を抑えたストイックな演出も相変らずだ。
一つ違いを挙げるとすれば、いつもは見られない情報量の多さである。大気汚染、土壌汚染、海洋汚染、オゾン層破壊、種の絶滅危機、水俣病、核実験…。環境破壊に関する映像が、次々と映し出される。ミシェルが統括する人類環境保護協会で映写される記録映像だ。
撲殺されるアザラシの子や水俣病の患者が大きく映される場面など、かなりショッキングな映像も少なくない。
ブレッソンが既存の記録映像をこれほど大量に引用した例を知らない。またこれほどストレートかつ執拗に政治や社会を批判した作品も記憶にない。
製作されたのは1977年というから、45年も前だ。だが、描き出された社会や人間の姿は、今日とほとんど変わっていないことに驚く。
ブレッソンの警告は今も有効どころか、人類滅亡の危機はますます高まっている。死なねばならなかったシャルルは、いわば“炭鉱のカナリア”なのだ。
※ロベール・ブレッソン監督「湖のランスロ」(1974)と同時公開。ともに劇場初公開となる。
たぶん悪魔が
1977、フランス
監督:ロベール・ブレッソン
出演:アントワーヌ・モニエ、ティナ・イリサリ、アンリ・ド・モーブラン、レティシア・カルカノ
公開情報: 2022年3月11日 金曜日 より、新宿シネマカリテ他 全国ロードショー
公式サイト:https://lancelotakuma.jp/
コピーライト:© 1977 GAUMONT
配給:マーメイドフィルム/コピアポア・フィルム
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