なぜ女より女っぽいのか?
「今宵かぎりは…」(72)や「ラ・パロマ」(74)など、幻想的かつ耽美的な作風で知られるスイスの異才、ダニエル・シュミット。日本では80年代に初期作品がまとめて紹介され、映画マニアからの熱狂的な支持を得た。本作の主役である坂東玉三郎とは82年の初来日以来の友人であるそうだ。
そもそも、オペラに傾倒するシュミットと、オペラと同じくロマン主義的な舞台芸術である歌舞伎との距離は、かなり近かったはず。妖艶なメイクと巧緻な技で女に変身して見せる玉三郎を、シュミットの審美眼が見逃すわけがない。玉三郎もまたシュミットの「ラ・パロマ」や「ヘカテ」(82)を愛した。
そんな二人のコラボレーションというべき本作は、歌舞伎作品における玉三郎の舞台を紹介しつつ、玉三郎自身に自らの演技論を語らせるという形で、稀代の女形の創造の秘密に迫っている。
女ではない男の自分が、なぜ女より女っぽく女を演じることができるのか―。女ではないからこそ、男の目で女を客観的に見つめ、そのエッセンスを描き出せるのだと、玉三郎は言う。
しかし、玉三郎によると、それは女形に限った方法論ではなく、ハリウッド映画のガルボやディートリッヒもそうだし、日本舞踊の武原はんや、女優の杉村春子にも共通するものなのだ。
彼女たちは生の自分をそのまま見せているのではなく、女を構成する様々な材料を、必要に応じて取り出し、使っているのだ。そこには玉三郎同様に、女を外から見つめる冷めた目が存在するのである。
名手レナート・ベルタのカメラは、玉三郎から杉村春子へ。杉村が演技論を語り、玉三郎の言葉を裏打ちした後、女性的としか言いようのない所作で立ち上がり、舞台の奥へ歩き去って行く。カメラを意識した動きに、女の色気が漂う。
次いで映画は、成瀬己喜男監督の「晩菊」(54)における杉村の圧巻の演技を紹介し、玉三郎とは違う本物の女が演じる女の凄みを見せつける。
続いて紹介される武原はんの舞踊のまた艶っぽいこと。この人にも玉三郎には感じられない女のエロティシズムを感じる。
映画は、さらに芸者・蔦清小松朝じの三味線演奏を映し、そして舞踏家・大野一雄の前衛舞踏を随所に挿入していく。
あくまで中心人物は玉三郎であり、焦点は女形としての表現である。しかし、シュミット監督は映画をあえて一点に収斂(しゅうれん)させず、融通無碍(ゆうずうむげ)に撮影対象を広げていく。
結果的に、本作は、演技、舞踊、性といった多様なテーマを取り込むことになった。男とか女とかいう問題には、LGBTあるいはLGBTQという視点を加えなくてはならない時代になっている。歌舞伎をはじめ伝統芸能にとっては試練の時代かもしれない。
本作の後半に「黄昏芸者情話」というドラマのパートがある。あえて毛色の異なるパートを加えることで、シュミット監督は黄昏時を迎えつつある歌舞伎へ哀惜の念を込めたのだろうか。
書かれた顔 4Kレストア版
1995、日本/スイス
監督:ダニエル・シュミット
出演:坂東玉三郎、武原はん、杉村春子、大野一雄、蔦清小松朝じ、坂東弥十郎、宍戸開、永澤俊矢
公開情報: 2023年3月11日 土曜日 より、ユーロスペース他 全国ロードショー
公式サイト:https://kakaretakao.com/
コピーライト:© 1995 T&C FILM AG / EURO SPACE
配給:ユーロスペース