今年の東京フィルメックスにおける最大のトピックは、審査員としてワン・ビン監督が来日し、その新作が2本上映されたことではないだろうか。開会式、2作品のQ&A、授賞式と、何度も観客の前に登場しては、大いに映画を語ってくれた。映画ファンにとっては、実に得難い体験だった。
心の痛みは体に刻まれる
さて、2本の新作だが、まずは「黒衣人」。超長編で鳴らすワン監督の映画としては、かなり短い60分のドキュメンタリー作品だ。
誰もいない劇場の廊下を裸の老人が歩いてくる。ゆっくりした足取りだ。老人はやがて舞台に上がり、パフォーマンスを始める。そして、歌をうたい、ピアノを弾き、過酷な個人史を語っていく――。
老人の正体は作曲家の王西麟(ワン・シーリン)。中国を代表する現代音楽の作曲家だ。文化大革命時に党の方針に逆らい、さんざん辛酸を嘗めた。
そんな王氏の作品に感動し、経歴に共感したワン監督が、尊敬の念を込めて作ったのが本作だ。
「黒衣人」というタイトルは、魯迅の小説「鋳剣」に登場する人物にちなむものらしい。上映後のQ&Aでワン監督自身が明かしたように、これはワン監督のアイデアではなく、魯迅の作品を愛好する王氏の意向によるもの。
タイトルに限らず、作品の中身も基本的には王氏に委ねたようで、前半で披露される肉体パフォーマンスも、王氏の即興だそうだ。ただし、全裸になることだけは、「心の痛みは体に刻まれる」と考えるワン監督からの要求。
求めに応じ、王氏は局部丸出しの真っ裸で、前かがみの姿勢になり、両腕を後ろに伸ばすなど、前衛舞踏を思わせる動きを見せていく。カロリーヌ・シャンプティエのカメラが、その予測困難な動きを的確な構図で撮り上げていく。
前かがみで両腕を後ろに伸ばすポーズは、1950年代から70年代後半にかけて、いわゆる反動分子が吊るし上げられる際に、強いられたものだと言う。知識人、文化人に対する迫害の苛烈さを、ワン監督は「無言歌」(2010)でも描いているが、王氏はまさにその生き証人なのである。
類まれな芸術家の肉体を通して、中国の暗黒史に光を当てた、ワン・ビン渾身の作。
自然体の若者たち
「黒衣人」とは対照的に3時間半の長編「青春」は、縫製工場で働く若者たちに焦点を当てた作品だ。
10代後半から20代半ばぐらいの工場労働者たち。鍛え上げた技術でミシンを操り、驚異的なスピードで服を縫い上げていく。
仕事の合間には同室の異性と話したり、いちゃついたり。躊躇いなく体に触れ合い、恋の告白もストレートだ。
一昔前の中国だったら、これほど自由な雰囲気はなかったろう。キャラの立った若者が何人も登場する。
たとえば、何度フラれても「好きだ」、「付き合おう」としつこく迫ってくる男の子がいる。そのたびに、女の子は「その気になれない」とつっぱねる。
だが、彼女の表情に嫌悪感はない。全く好意がないわけでもなさそうだ。男の子を弄んで楽しんでいるのだろうか。
カメラは、そんな自然体の若者たちを、近づきもせず、離れもせず、適度な距離から映し撮っていく。
工場が立地するのは浙江省湖州市の織里鎮という町。若者たちは安徽省や湖南省からやってきて、住み込みで働いているのだ。
シャワーやトイレは共同で、賃金も安い。他所の工場はもっと高いと言って、賃金交渉する場面も収められている。
決して恵まれているとは言えない労働環境。それでも働き続けるのは、ほかに生きる道がないのだろうか。
ワン・ビン監督は、すでに「苦い銭」(2016)という作品で、縫製工場の出稼ぎ労働者の姿を記録している。ロケーションも同じ浙江省湖州市だった。同作では若者よりも中年層に焦点が当てられており、工場労働とは無関係の逸脱したシーンに面白みがあった。
Q&Aでワン監督が語ったところによると、本作は三部作の第一部にあたり、残りの二部で9時間半ほどの長さになるらしい。「苦い銭」と同様、工場労働という枠に収まらない意表を突く展開が期待される。完成が待ち遠しい。
なお、本作は2024年4月に日本公開が予定されている。