見て見ぬふりで生きていく
そこだけ見れば、いかにも幸福そうな家族の生活風景である。だが、彼らの住む屋敷のすぐ隣には、誰もが知っているであろう、あの忌まわしい建物が立っていた――。
冒頭、真っ黒な画面に不気味なサウンドが流れる。何か恐ろしいことを暗示するような、何とも言えず禍々しい音。やがてその中に鳥のさえずりが混じる。と、次の瞬間、映画は意表を突くかのように、陽光に満ちたピクニックの場面を映し出す。
両親と子供たち、そして彼らの世話をする使用人たち。抜けるような青空の下、美しい河畔の草原で暖かな日差しを浴びる彼らの姿は、幸福そのものだ。
しかし、幸せな風景の背後には、恐ろしい事実が隠されている。ホロコースト。ユダヤ人大量虐殺である。
本作に描かれている家族は、アウシュヴィッツ収容所の所長であるルドルフ・ヘスの一家であり、彼らの住居の隣は、虐殺の現場であるアウシュヴィッツ収容所なのだ。
収容所では日々虐殺が行われている。だが、映画は一切その様子を見せない。画面に映し出されるのは、一家の幸福そうな日常生活ばかりなのだ。
ただし、“その音”は聞こえてくる。焼却炉の稼働音、うめき声、叫び声、銃声。冒頭のサウンドにも混じっていた不吉な音。全編にわたり通奏低音のようにうっすらと響き続けるこのサウンドは、家族の耳にも届いているに違いない。
だが、その音は聞こえていないかのように、彼らは平穏な暮らしを続けるのだ。
視覚的なサインも全くないわけではない。収容所から立ち昇る黒煙。そして、使用人が持ち込んでくる衣服類、金歯。庭の植物に振りかけている肥料は、人骨を砕いたものだろうか。
大人たちは見て見ぬふり、子供たちは漠然とした違和感の中で、家族は長閑(のどか)な田園生活をエンジョイしていく。だが、彼らも人間である。知らず知らず彼らの精神は苛まれていく。途中から同居していた妻・ヘートヴィヒの母親も、耐えきれず帰ってしまう。
その中でひとり、平然たる態度を崩さないのがルドルフの妻・ヘートヴィヒだ。大量虐殺を指揮・実行してきたルドルフでさえ、思わず嘔吐してしまう場面がある。ところが、裕福なユダヤ人が所有していた毛皮のコートを躊躇なく羽織って悦に入るヘートヴィヒには、犠牲者への同情心など微塵も感じられないのだ。
彼女にとってユダヤ人虐殺は他人事である。壁一つであっても収容所と隔てられれば、そこは別天地。彼女にとっての理想郷なのだ。目に入らなければ存在しないのと同じ。驚くべき共感性の欠如。他人への徹底的なまでの無関心。
しかし、ここではたと気づく。ヘートヴィヒのような人物は、決して特異で例外的な存在ではないのではないか。
戦争や飢餓で人が死んでいる。だが、自分は安全地帯で安穏とした生活を送っている。死者たちのことは知っているが、大事なのは自分の人生。見て見ぬふりで生きていく。それは、ヘートヴィヒの生き方とどう違うのか。
ホロコーストを題材にした映画ではあるが、決して中身は他人事ではない。過去の話ではない。現代に通じる普遍的なメッセージが込められた作品なのである。
関心領域
2023、アメリカ/イギリス/ポーランド
監督:ジョナサン・グレイザー
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー
公開情報: 2024年5月24日 金曜日 より、新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー
公式サイト:https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/
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配給:ハピネットファントム・スタジオ